【お知らせ】本文末より倉本美津留さんのサイン入りCDプレゼントにエントリーできます
「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」「ダウンタウンDX」「嗚呼!バラ色の珍生」「伊東家の食卓」など、放送作家として数々の超ヒット番組を手掛ける一方、ミュージシャン、アーティストとしてあらゆる媒体に出演。また、『松本人志の一人ごっつ』の師匠の大仏や『ダウンタウンDX』のトスポくんの声を演じたりと多彩な顔を持つ倉本美津留さん。意外にも、ライフスタイルにはあまりこだわりがない、と言う。「インテリアは奥さんまかせやねえ。結婚したときに、仕事は自由にやらせてもらってるから、プライベートの趣味は全て奥さんに合わせよう、と思ったんですわ。だから、思いっきりこだわらないことがこだわりかなあ(笑)」
若い頃はファッションにもうるさくて、個性的なことばかりしてみんなの目を引いていた。「おふくろがクジで物置を当てたんです。で、俺がそれをもらって、社宅の庭に自分の城を作った。こたつを置いて、好きなレコードを集めて、秘密基地みたいにしたんです。そんなことする奴誰もおらんから、友達みんなうらやましがって、よく泊まりに来てました。当時は車もわざとボロいのに乗ってたり、じゃんじゃん横丁でGIが着るコートなんか買って、目立ってましたね。放送作家を始めたころも、名刺の肩書きを『暫定的放送作家』って書いてみたり。でも、一通り遊びまくったせいか、今は落ち着いたのかもしれませんね。」
唯一、現在の自宅で、ご本人の仕事部屋兼趣味部屋という1室には、LPレコードやCD、テレビの録画ビデオがぎっしり。音楽好きだったら何時間でも居座ってしまいそうな、貴重な品々が並んでいる。TV業界に入ったのは、元々ミュージシャンになりたかったから。
「子供のころから変わった奴だったんだよなあ。好き嫌いも多かったし、人に言われた通りにできない子だった。兄が優等生やったから、絶対比較されるし。でも人から教えられないことをやるのがカッコエエんや、と子供ながらに気づいたんです。勉強もスポーツも落ちこぼれだったけど、目立ちたがり屋やったし、みんなの人気者になりたかった。大阪はおもろい奴が一目置かれるんやね。俺は人と違うことばっかりしてたから、自然に目立って、あいつ変だけどおもろいわ、と思われてたんですよ(笑)」。
小学校5年生のとき、兄が借りてきたビートルズのレコードを聴いて、一気にのめり込んだ。名前も知らず、街中で耳に入ってなんとなく"いいな"と思っていた曲は、全てビートルズだったことに、このとき気づく。"人と違う個性"を強くアピールして世界を圧巻した彼らに深く共感し、自分自身と重ね合わせた。今まで抱いてきたコンプレックスを"それでいいんだ!"と勇気付けてくれる、心の同士を見つけたような気がしたとか。人に合わせるのではなく、自分の感覚を大切にすることが大事だ、と確信し、自分もいつかビートルズのように世界をあっといわせたい、という思いが音楽への道を決意させた。
「小さい頃から勝手に自分でオリジナルの歌を作って歌ってたりしてたんですね。友達が『それ何の歌?』と聞いてきたら『俺の歌や!』って答えたりして。でも音楽教室へ行っても、習うことは相変わらず苦手でした。ギターを買ってもあまり練習しないんやね。中学高校くらいの頃は、ディープパープルとか、速く弾くことが流行ってたんやけど、自分にとって技術はあまり関係なくて、ギターは新しい曲を生み出すための道具でしかなかったです」。
バンドを組んでライブも行っていたが、現実は厳しく、なかなか芽が出ず悩む日々だった。ビートルズのように、自分を理解しプロデュースしてくれる人との出会いを待っていた。なんでもいいからツテが欲しくて、たまたま見つけたTV局の求人に申し込む。ビッグな相手に出会って自分のデモテープを渡し、いつかデビューすることが目的で潜り込んだのに、気がついたらいつの間にか、放送作家という職業についていたという。「これやったら絶対おもろい、っていう確信があるわけですよ。小さい頃から人と違うことやりたがる奴だったから、もう訓練されてたようなもんです。遊びが仕事になってしまったんですね。」しかし、倉本さんにとって、音楽は”自分の内臓”。趣味だと思ったことは一度もないという。自分の価値を皆にわかって欲しい、誰かに影響を与えたい。今も変わらない気持ちで活動を続けているそうだ。
ユニークな肩書きのひとつが「キリンビール大学理事長」。立ち上げから参加し、全体のアイデアを出しながら、自ら校歌の作曲や、"笑いとビールのシュールな融合"を掲げた「キリンビール大学笑学生制度」を担当。月1回の採点は、意外に集中力もいるので、参加者数も多く多忙なときには本当に大変な作業だが、面白いことのためには手は抜けないと、ひとつひとつに目を通しコメントを付けているのだ。
このごろ、ますますビールが好きになってきたという倉本さん。「天気のいい時、明るいところで飲むのが気持ちいいですね。仕事の合間に一息入れたいとき、ベランダのテーブルで昼間から飲んでることもありますよ。特にどれ、と銘柄にはこだわらず、いろいろな味を楽しんでいます。みんなで飲むのも好きですし。うちでよく仕事仲間や友人を呼んで定期的に鍋パーティーをやってるんです。若手が料理作ってくれたりして。そういえば、"鍋オープン"いうのをやってたこともあって、友人に場所だけ提供して、勝手に人を集めてもらうんです。自分の知らん奴ばっかりがどやどやとやってくるんやけど、そこから新しい出会いがあったり、アイディアが浮かんだりするんですね。面白いですよ」。
次々と溢れるようなアイディアはどこから生まれてくるのか?
「人との出会いがアイディアの源。放射状に思考を巡らせ、同じところをこすらない、というのが自分の考え方。そのためにはいろいろな人とコミュニケーションを取る。人と出会うたびに、新しい発想が生まれると思っています。ほら、"閃き"っていう字は、人が門のところにいるように見えるでしょ。人が閃きの扉を開けてくれるんですよ。ぴったりの鍵を持った人が現れたとき、扉はぽーんと勢いよく開くんです。そんな人と出会えるよう、自分も素のままをさらけ出して、堂々と生きていきたいですね」。今年の夏は北海道、沖縄、NY、そして故郷の広島へと旅続きだったという倉本さん。自分の意思ではなく、友人が行きたいところにとことん付き合う、というスタイルで旅してみたところ、思いがけない偶然が重なり、改めて自分の"ルーツ"を知る旅になったという。
趣味は人を楽しませること。「サービス精神は気持ち悪いほどなんですわ!」と大きく透る声で笑う倉本さん。とことん喜んでもらうために今日も考え続けている。 |